Uncanny Bodies: The Coming of Sound Film and the Origins of the Horror Genre
A**R
不気味なトーキー
内容的には英文の紹介につきる、んですが、映画がサイレントから本格的にトーキーに移行する時期に、立て続けに発表されたホラーの元祖(?)「ドラキュラ」(トッド・ブラウニング監督)「フランケンシュタイン」(ジェームズ・ホエール監督)の2作品の分析を中心に据えて、「リアルタイム」の音声の獲得というイノヴェーションが映画メディアの観客に起こした変容と、その変容をある種「利用」することによって確立したホラー映画というジャンルについて歴史的に考察した本です。まず著者は当時の映画ジャーナリズムの資料を博搜して、無声から有声への移行期の観客層が直面したある不気味な(このUncannyというのはもちろんフロイトのUnheimlicheを参照しています)状態を再現してみせます。即ち、トーキー初期の観客にとって画面内の人物がしゃべるということは、技術的な未熟さも相まって、非常に違和感のある、亡霊的(ghostly)な経験として受け取られた、というのです。もちろん技術的な改善と映画の全面的なトーキー化によって、この不気味さは数年のうちに忘れ去られてしまいます。続く2作品の分析も、ときに同時代の作品(例えばドライヤーの「吸血鬼」!)との比較などを交えつつ非常に精緻に行われ、とても興味深いものです。一点最も重要と思える指摘を挙げると、「ドラキュラ」が、当時の観客がトーキーに感じていた不気味さをその恐怖の原動力として利用しているのに対し、若干遅れた「フランケンシュタイン」は、むしろ無声映画的な演出を意図的に採用することによって、「変容」後(トーキーに「慣れた」)の観客が前時代のメディアに感じる違和感・不気味さに訴える戦略を取った、というもので、このことがその後の2作品の評価にもつながっている(前者はすぐにその評価を下げ、後者はいまだにホラー映画の古典として賞揚されている)、と。これは面白い。現在、映画・映像の世界は急速な3D化を経験中で、まさに1920年代末以降の、トーキー初期の時代に比較しうる大イノヴェーションの真っ最中ともいえます。今我々がそのただ中にいるメディア体験の変容を考えるヒントとして、ホラー映画ファン、映画愛好家のみならず、多くのひとが参考としうる書物でしょう。追伸:私はKindleのヴァージョンを読んだのですが、これ見事に図版がすべてカットされてます。ペーパーバックを改めて買うつもりです。
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1 week ago
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